平和島競艇場の基本情報
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平和島競艇場は東京都の大田区にある競艇場で、1954年に大森競走場としてレースが開催されたのを起源としています。
最寄の駅は京急の平和島駅。
そこから送迎のシャトルバスが出ています。(JRの大森駅からも送迎バスあり)
競艇場のすぐそばにビッグファン平和島という複合商業ビルがあり、そこにはゲームセンターや映画館、パチンコ屋や温泉、多くの飲食店など様々な商業施設が入っています。競艇以外にも遊べるスポットが数多くあるため、デートスポットとしても最近は人気です。
平和島競艇場の特徴
平和島競艇場はすぐ近くに比較的高層のマンションが多く立ち並んでいることもあり、風の影響を多く受けやすいレース場と言われています。夏場は追い風、冬場は向かい風になるので予想する際に考慮に入れると良いでしょう。
水質は海水で、スタンドから1マークまでが約37メートルと日本一狭いのも特徴の1つです。そのためインが窮屈になりやすく、展開次第ではあっさり飛んでしまうことも多いようです。
1着率 | 回収率 | |
---|---|---|
平和島 | 44.8% | 91.8% |
浜名湖 | 51.5% | 89.0% | 児島 | 56.0% | 88.9% | 下関 | 59.0% | 88.1% | 芦屋 | 62.4% | 87.6% | 江戸川 | 45.9% | 86.9% | 大村 | 64.2% | 86.7% | 若松 | 55.8% | 85.0% | 徳山 | 63.5% | 84.9% | 三国 | 52.7% | 83.9% |
とはいえ平和島競艇場は「イン天国」と呼ばれるほどインの回収率が高いと言われています。
インの勝率自体は他の競艇場と比べて際立って高いわけではなく、むしろ低い傾向にあるのですが、インを絡めた舟券でも回収率が全国でも屈指の高さである点には注目です。
万舟率全国1位
実は平和島競艇場は万舟が全国で一番出やすいレース場と大外6枠が日本一強いレース場と言われています。
そのカラクリは6枠の存在にあります。バックの内側での伸びが強烈なためで、大外からうまく内をすくうことができれば6枠といえど充分に勝機があるコースとなっています。
前項のイン天国と一見矛盾するようではありますが、要はインを軸とした上で6枠が絡む舟券が多く出る、ということなのです。であるからこそ配当も伸びやすく、勝率の割にに回収率が高いという結果につながっているのです。
そしてもちろん6枠が1着に入った際の万舟も出やすいということになります。
6枠1着率 | 回収率 | |
---|---|---|
平和島 | 4.1% | 64.6% |
江戸川 | 3.8% | 42.5% | 琵琶湖 | 2.8 | 49.1% | 戸田 | 2.8 | 43.6 | 丸亀 | 2.6 | 51.7 | 常滑 | 2.6 | 55.8 | 津 | 2.4 | 36.2 | 宮島 | 2.3 | 51.6 | 多摩川 | 2.2 | 31.5 | 浜名湖 | 2.2 | 34.2 |
このように勝率、回収率共に全国1位ですが、それでも勝率は4.1%止まりで回収率もインに比べると低い64.6%ということを鑑みると、あくまで予想の1つの要素として考えるのが無難と言えるでしょう。
主催は府中市
府中市は公営ギャンブルによって豊富な財源を持っていることで有名です。
府中市内には多摩川競艇場(ボートレース多摩川)と東京競馬場がありますが、その二つの競技場については運営に関わっておりません。多摩川競艇場の施行者は青梅市と東京四市競艇事業組合(小平市、日野市、東村山市、国分寺市)、東京競馬場はJRA(日本中央競馬会)が運営管理者です。
しかし、どういう訳か大田区にある平和島競艇場(ボートレース平和島)は府中市が主催となっています。これについては後ほど理由を解説します。
平和島は全国24場の競艇場の中でも屈指の売上を誇り、2016年度には全国1位に輝きました。
府中市の予算規模
一般会計:955.9億円
国民健康保険:233.2億円
後期高齢者医療:52.6億円
介護保険:165.8億円
公共用地:28.2億円
下水道事業:39.5億円
火災共済事業:911万円
競走事業:637億円
府中市平成30年度財政の概要
https://www.city.fuchu.tokyo.jp/gyosei/zaise/jokyo/30zaiseigaiyo.files/30gaiyo.pdf
これまで競走事業から一般会計に繰り出しされた総額は2,800億円以上にのぼり、府中の森芸術劇場の建設においても競艇による収益が大きく貢献したと言われています。
府中市が平和島を主催するようになった理由
平和島競艇場は1954年に大森競走場として開設され、当初は東京都が主催していました。しかし利用者が少なく、翌年1955年には東京都が撤退をして競走中止となってしまいました。
そこで赤字状態だった大森競走場の運営に手を挙げたのが府中市でした。
1955年9月より府中市が主催者となり、1957年に大森競走場から平和島競艇場へと改称しました。
1960年からは神奈川県の市町村で構成された相模湖モーターボート競走組合も主催に加わりますが2004年度を以て撤退し、再び府中市のみの主催に戻りました。
2000年代初頭は競艇業界の低迷期でしたが、その後のプロモーション活動やネット投票の普及などによって、徐々に勢いを取り戻しました。
現在、府中市が平和島による競走事業収入で潤っているのは、赤字で東京都が撤退した競艇の黎明期や2000年代の低迷期にも辛抱強く主催を続けた粘り勝ちと言えます。